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抜けたっ!

  • Posted by: 愛子
  • 2012-03-19 13:02
  • その他

少し前、2週間ほど前だったかな、急に「抜けた」感じになった。
何かが変わった。
気持ちがふーっと軽くなった。
急に浮かび上がったような感じだ。

特に何があったわけではない。
ずっと真剣に考え続けてきたことに対して、急に考えの方向性というより感じ方が変わった感覚。
突然「抜けた」。
なんだろう?

今から思えば、秋茶が終わってからここ数か月、心はまるでいきなり襲われた雪崩の雪に埋もれたようだった。
そっちでいいかわからないけれど掘らないと埋もれたままだからもくもくと真面目に掘り続けていて、
そうしたら、いきなり目の前が明るくなって突然スコンと抜けた。
出口のないトンネルからいきなり出たような、
何かがつるんと剥けて突然視界がひらけたような、
重い屋根雪が一気に落ちて長い冬が終わったことに急に気付いたような。

あはは、本当になんだろう。
すごくすっきりして、心が軽くなったの。
やっぱり何か「抜けた」んだろうなあ。


長いこと真剣に考え続けてきた問題の答えや解決の名案が見つかったわけではない。
たぶん、答えはなくて自分のすることが答えになっていくことが分かったのと、
大きな壁は今もこれからも変わらずそびえたっていてその中で進んでいくことになるのが分かったのと、
それよりももっともっと大きな素晴らしいものがすでに存在していることを心から実感できたからかもしれない。

何か浄化され、新しい風が吹いた。
突然ぶわっと、心に幸福の花が咲いた。
本当の感覚だ。
考えてそうなったのではなく、考えていないときにそう感じた。

そうだ、感じたんだ。
ああ、好かった、間に合った。
そうやって、考えでなく自分の心が本当に感じないと、私は前には進めない。
意識してそうなるわけではないしいつ来るかわからないし自分でそうなろうとしてなれるものでもないけれど、
待っているだけではいつまで経ってもこうはならなくて、日々目の前のことに一生懸命向き合ってやっていると、
ある時突然こんな感覚になる。
基本、こうならないと私は動けない。

もちろん仕事や生活は違うよ。
気が向かない仕事だって自分を説得しながら日々を調整する。
計画しないと生活は成り立たない。

でも、お茶に関しては違う。
このサイト活動は、感覚でやっている。
計画ではない。
飲みたい感覚が自分になくなればやめるだろうし、やめても誰にも迷惑はかからない。
そうか、それなのに、それに対して考えすぎていたのかもしれない。
ひとりで考えていると、いつのまにか違う方向に考え詰めてしまっていることがあるよね。
そうなると、どんどん気持ちが凹んで知らないうちにそこから抜け出せなくなっている。
何とかしたいと難しく考えすぎてしまっていたのかもしれない。

もちろん、考えることは大切で、やめない。
壁にぶつかったら、直視する。
決して目の前の現実を放棄しない。
いつだって逃げずに真剣に考えて、そして実践してみるからまた新しい感覚が来て、次に進める。
だから、結果がどうなろうといつもぎりぎりまで精一杯やってしまう。
この数か月は、きっと真剣に考える期間だったんだろうなあ。
こういう心の展開になるとは思っていなかったなあ。


もともと、一部の人間が何をどう頑張ったところで、どうすることもできないことはたくさんある。
人件費や物価の高騰による製造コストの上昇も、国の経済成長や景気動向も、市場の流れや嗜好の変化も。
それらは自然の流れで、解決するとかしないとか、そういう類のことじゃない。
直面した時は「壁」にぶつかったと感じたのだが、実は壁ではなかった。
「景色」だった。

見たこともない山に惹かれて自分から進んで歩いて来たのに、自分の想像の範囲を超える巨大な山山が現れたら
貧血起こしてこの先どうやって歩いて行こうと凹むなんて、あはは笑っちゃう。
もともと、そういう景色の道だったんだ。
その山を歩きたいのだから、歩ける方法を探してまた一歩進むだけだ。
この先どうなっていくのかわからないけれど、考えたってわからないから一生懸命進む。
これまでと変わらない。
大蛇や老虎に襲われるかもしれないけれど、その向こうには素晴らしい景色が広がっているかもしれない。
いろんな備えをしつつ、できることを見つけながら、歩けるところまで進む。
まだ私は歩ける。

ということに気が付いた!


休暇を取ったのもよかったかな。
同じことをずっと考え続けていると時に変な方向に考え詰めてしまうから、
そうなったら、一度そこから完全に離れてみると逆にそれが近道になったりすることがある。
日常とまったく違う環境に身を置いたり、普段動かさない筋肉をいっぱい使ったりすると、すっきりする。
ここ数年、冬の休暇は仕事を持ち込んでスキーしていなかった。
けれど今年は、数年ぶりに連日スキー練習して毎日温泉も睡眠も満喫して、きちんと「休暇」を過ごした。
数日間で本当にリフレッシュして、それが好かった。


一番大きかったのは、品茶会で茶友たちに会えたこと。
1月と2月、合計6日間。
本当に好かった。
茶友たちに会えて一緒に時を過ごしていると、ものすごく元気になっていくのを自分で感じた。

いろんなことを感じたけれど、茶友たちのおかげで心の向きが大きく変わって、前に進めた。
会って一緒にお茶を飲んでいろんな会話をして、いつのまにか心は迷いや悩みから脱出していた。
会えば会うほど、次々に。
品茶会が終わってから気が付いたんだけど。

品茶会には「好い気」が集まる。
おいしい笑顔、肩肘張らない無邪気な会話、素直で健全な気持ち、人を思いやるやさしさ、
そういうのが集まってますます「好い気」になって、自分もいつのまにかその中に染まっている。

以前は、自分が迷ったり悩んだりしているときは品茶会を開催しないほうがよいのでは、と思っていた。
心配させたり困らせてしまうかもしれないし、自分が心から楽しんでいないと半端にしか伝わらないだろうし。
が、もしかしたら違うかもしれない。
茶友と会うと何か悪いもの(?)が浄化(?)していく感じがする。
とにかく気持ちは明るくなって心は軽くなって、終わってみるとすごく前向きで元気になっていた。
気のせいかもしれないが、集まった茶友のみんなもどんどん元気になっていたような気がする。
次からは、なにか迷いがあるときは品茶会をしよう。
茶友とともに過ごす時間が道しるべになってくれる。

人の心って不思議。
温かい心に触れると自分の心も温かくなる。
心って見えないけれど何をするにも一番の根源だ。
その心を作るのも人の心なんだなあ、と思った。
茶友たちに会っているうちに、心に何かが生まれていくのを感じた。


茶友の数は以前よりも少ない。
努力して茶葉に結果を出しても、飲む人が減っている現実に凹む。
けれど、数が少なくても茶友が「いる」、ということがすごいことだと感じた。
伝わる人が「いる」、サイトを見て何かを感じて行動を起こしてくれている人が「いる」。
少なくても「いる」、そのことの方が素晴らしい奇跡だと気が付いた。

茶友の中には、何度も会っている人もいれば、これから会うことになる人もいる。
生涯会う機会がなかったとしても、同じ釜の茶葉の感覚を共有するこの世で数少ない心の友だ。
経済的な理由や体調の都合などいろんな事情でしばらく飲めない状況の茶友は何人もいるが、
今は飲めないけれどいつかまた飲みたいから頑張ってほしいと寄せてくださる心からのメールは、
いつまでも温かく心に残って消えない。

お茶を通じていつのまにか人との縁を作っていた。
いつかお茶が作れなくなっても、お茶を通じてこうやって作ってきた人との縁は消えない。
そっちの方が、お茶よりも何よりも得難くて、そういう人と出会えた、ということの方が奇跡だ。
心の底からそう感じた。
そうしたら、ものすごい涙があふれて、すごい幸福を感じていた。

素晴らしい人生だと思った。
たとえこの先お茶がなくなっても、それ以上に素晴らしいものがその時にはたくさんある。
茶友とはきっと会うし、おとんやおかんとも縁が切れることはなく生涯会い続けるだろう。
お茶がなくなっても、人は残る。
お茶が作れなくなっても、何かを失うわけではない。
そのことを、本当に心から感じた。
そうしたら、自分にはもっと何かできるのではないかと思った。

ふーっと軽くなって、気持ちが明るくなっていた。
そうか、それまで私は望みを失いかけていたのかもしれない。


春だ、碧螺春だ。
おとんが待っている、おかんが待っている、会いたいなあ。
ふいみんも向こうで待っている、会いたいよ。
日本で楽しみに待っている茶友もいる、笑顔で会いたい。

まだ終わりではない。
希望は捨てない。
まだ私にやれることはある。

Comments:2

蝦餃(はーがう) 2012-03-28 (水) 00:17

元気をいただいているのは、参加した私達のほうです。

初めて品茶会に参加することにしたのは、自分のお茶の淹れ方で本当に茶葉本来の味を引き出せているのだろうか。
そうでなければ茶葉に申し訳ないという不安と、このブログから発せられるお茶と向き合う愛子さんのパワーに直に触れてみたかったんです。
今は当時自分の好奇心に素直に行動してよかった♪と思いました。
参加してみて感じたのは、「楽しかった!」「美味しかった!」「笑ったあ!」でした。
ただみんなで集まってお茶を飲んで味わう会なのだけど、茶葉の姿、香り、舌に残る甘さに驚きや幸せを感じました。

最近では、さらに高みへと登った愛子さんの製茶には、よくぞこんな味わいに仕上がってくれたと自然と宇宙の恵みであるお茶の葉に感謝の念を抱くほどです。
そして茶友が品茶会で集うことがとっても楽しいのです。
集まった茶友それぞれのキャラクター(^^)、笑顔、言葉がより一層、お茶と向き合う感覚を研ぎ澄ませてくれるように思えます。

もう二度と昔のようには戻らないであろう中国の経済事情からの現状のきびしさは、私たちにはどうすることもできませんが、
もし愛子さんが作りたいお茶にもう限られた時間しかないとしたら、私は見届け、いえ飲み届けたいと思います。
おとんと愛子さんが精根こめて作ったお茶を、愛子さんを囲んで品茶する。
ゆったり流れる時間と空気と笑顔は、まぎれもなく愛子さんとおとんと茶葉が作り出しているものなのですよ。


愛子 2012-06-02 (土) 20:54

蝦餃さん!
お返事お待たせしました、2か月以上・・・スミマセン。

蝦餃さんが書いてくださったこのコメント、この間に何度も何度も読みました。
ひとり心が折れそうになったとき、何度も、何度も、本当に救われました。
読むたびに勇気が出てきます。
いつも本当にどうもありがとうございます。

そして、お蔭さまでまたおとんの山の家に来ていますっ!
今春は新茶の製茶はできないけれど・・・。
でも、これまで茶友のみんなに支えられて作ってきた茶葉、その老茶の炭焙研究、がんばってますよーっ!!!
蝦餃さんや他の茶友たちが嬉しそうに飲んでくださるあの笑顔の数々を思い浮かべながら。。。うふふ☆

待っててくださいね、とっておきのおいしいの、連れて帰りまーす♪

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